終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌という話題の本!もう読まれましたか?
わたしのまわりではあまり読まれていないのですが、とてもお薦めです♪
終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌を読み終わったあと、わたしは著者の大庭 利雄さんの他の書籍が読みたくてしかたなくなりました。
こういうときネットって便利です。調べてみると大庭 利雄さんの著書が終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌以外にも検索できるんですから。
ただ、ネットでの購入の場合、本の中身を立ち読みで確認ってわけにはいかないですよね。こればかりはどうにもなりません。
そういう時は本の詳細や実際に読まれた方のブックレビューが参考になるんですね。終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌に対する読者の評価を是非参考にしてください。
介護の難しさと夫婦愛と・・・
「介護」は、介護する者への愛情がないとできないと言われているが、
まさにその通りだと思う。相手が何を望んでいるのかきめ細かく思い
やることができるのは、相手を愛しているからに他ならない。利雄の
みな子への献身的な介護。読んでいると、夫として妻をどれほど愛して
いるのかが痛いほど分かる。だが、老齢の身で介護をしなければなら
ないのはとても大変でつらいことだと思う。今後、介護制度がもっと
もっと充実してくれることを願うばかりだ。
夫婦のあり方が問われる介護生活
何年か前、作家の大庭みな子氏が、突然、脳梗塞で倒れて車椅子生活になったということを知り、大変驚いたのを覚えている。本書は彼女を介護をする夫の利雄氏が書いた日記で、病に倒れてからの妻の様子、夫との関わり、夫婦のあり方などが淡々と記されている。
みな子氏は、1996年に倒れ、以来半身不随になってしまう。妻は夫がいなければ立つことも歩くこともできず、「みな子は利雄にすがって生きている」。介護する者とされる者との関係は、母と子のような密着した関係であり、このような状況を利雄氏は、「再びめぐってきた第二のハネムーン(蜜月)」だという。幸いなことに、彼にはどんなに辛いことでも楽しみに変えてしまう才能があるのだ。
二人には出会ってから50年の歴史がある。結婚後、夫の赴任先のアラスカで10年暮らし、その間に妻は作品を発表して作家となる。理数系の夫と感性にすぐれた妻。向かう世界はまったく違う二人が、常にお互いを大切に思いながら生きてきたということが、この介護日誌から伝わってくる。
利雄氏は長年日記をつけるのが習慣となっている。日常のこまごまとした世話の合間に、彼女が倒れた直後の記憶がなかったときの日記や、遠い昔の若き日の日記を読んで聞かせている。それによって彼女はもう一度利雄氏との生活を生き直しているのだ。
夫婦のどちらか、特に妻の介護が必要となったとき、夫婦の生活は一変するだろう。そのとき、その状況を「第二のハネムーン」ととらえることができるだろうか。おそらく、それまでの夫婦関係、夫婦としての来し方が問われるのだろう。わが身をかえりみて、私たちは大庭夫妻のような老夫婦になれるだろうかと考えさせられる。

